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そもそも「型」とは何か?

前回の記事で型(基本)の大切さについてのお話をさせていただきましたが、今回は型についての根本的なことをお話したいと思います。

 


型とはなにか?

「型」とは、先人達が長い伝統を経て形成されていったものであり、それそのものが技術です。

そして、様々な流派があります。

 

現代では、運動力学、スポーツ科学などが発達し、科学的な証明が出来るようになってきていますが、「型」は、今のような学問があるずっと前から存在していました。

 

科学的証明というよりも、先人達が多くの経験上で発見してきた効率的な身体の使い方の集積と言えます。

 

「型」を学ぶ目的は、身体の動きを無意識に落とし込むことにあります。

整体に関して言えばツボ押しの際には、拇指は意識しやすいが、拇指以外の四指や下肢、目線や体幹の使い方などその他重要なことがいくつもありますが、それらを同時に意識することは出来ないため、何度も反復を行い無意識でも出来るようになる必要があります。

 


型とは我をなくすこと


また、型を学ぶとゆうことは、己の我と向き合うことであり、施術の際には自分の我を無くしていく、消していくこと、と言えます。

 

我というのは、知らず知らずのうちに身に付いてしまった手くせ足くせなど色んなところにも現れますが、それらを一つ一つ自然な形、自然な所作に戻していくことと言えます。

 

東洋の考え方では、心と身体は一つである(心身一如)と言っています。型の反復練習、修行を通しそれを無意識に落とし込み、すべての我、クセを排除し、心も身体も自然な状態になることを目指しています。それらによって、心技体が一致し、理想の施術が出来ると言っています。

 

その点で言えば、型はバラバラで一つのものではなく、手や足や、意識の持ち方まですべてが統合してはじめて型としての意味が成り立ちます。

 

身技一体と言われますが、最終的に心の現れがすべて技術反映さるるため、内面的な修養が大事となります。


 

ここまで、やや難しいお話となってしまいましたが、最後に

 

武道や芸道の世界には守、破、離(しゅ、は、り)という言葉があり、学ぶ上での順序、段階があります。守の段階(学びはじめ)は、自分流は、ご法度であり自分を押し殺しつつ学んでいくことが重要とされています。

 

そして、型を学ぶことは、肉体的にも精神的にも修行と言えます。何度も自分自身で壁を乗り越える必要があり、自分との闘いが必ずあります。

その先に技術習得があります。

 

なにやら難しいこと、大変なことように聞こえてしまうと思いますが、

 

やはり技術(型)習得は、そう簡単であると言えません。

 

 

しかし、それだけに「型」を学ぶ、身に付けることは非常に価値あることであるため、ここで述べさせていただきたいと思いました。